龍頭の形態解析④ー御嶽神社,大田区の拝殿の龍と水行堂の正面左右の龍との形態比較

目次

はじめに

神殿と拝殿の位置関係を示す絵図

東京都大田区にある御嶽神社は,関東大震災と東京大空襲での戦火を避け残存するとても貴重な神社の一つです。上の絵図に示された最左翼の神殿,その右横の拝殿は,現在は本殿として接続されていますが,拝殿の下に描かれた水行堂は,今も同じ位置に配置されています。神殿外側の左右背面の彫刻は,天保二年(1831年)に藤原篤意(とくおき)によるものと伝えられていますので,拝殿向拝の彫刻や水行堂の彫刻も同じ時期のものと考えても不自然ではないかもしれません。ただ,目視では,水行堂左右の龍の作風はお互いに似ている(少し首から胸周りの処理に雰囲気の違いが感じられますが…)と判断できますが,同社境内の拝殿向拝の中備の龍との作風とは,あくまでも個人的な見立てですが,異なっているように見えます。

水行堂正面に配置された左右の龍は,

水行堂左龍3Dデータ
水行堂右龍3Dデータ

です。とても観察しやすい位置にあり,左右の木鼻彫刻も見ごたえのあるものです。この水行堂の彫刻に対して,拝殿向拝の龍は彩色が維持され,薄暗さの中でその威容を放っています。

拝殿向拝の龍の3Dデータ

繰り返しになりますが,この拝殿の龍と水行堂の左右の龍との間には,彩色の有無,特に眼球の表現の差違がその印象に大きな影響を与えているのかもしれませんが,第一印象としては,それぞれは異なる作風のものと感じています。

ここでは,上記の作風の類似性と違いが,これまでの形態分析と同様の手法において,龍頭を覆うポリゴンメッシュの法線ベクトルの向きの特徴に,どのような形で現れるかについて確認したいと思います。

拝殿向拝虹梁中備の龍

拝殿向拝の龍(写真)
拝殿の龍の頭部のポリゴンメッシュと曲率分布

ヒートマップとプロフィール

法線ベクトル終点の頻度傾向を示すヒートマップ

拝殿の龍のヒートマップ

ヒートマップより正面,水平方向(\(x\)軸方向)の面の強さが顕著であることが分かります。江戸時代後期の向拝中備の龍の造形では,鑑賞者に対する配慮なのか,一般的な傾向としては,想定される効果的な鑑賞者の視線の方向と一致するように面の向きがデザインされているようにも見えるのですが,このヒートマップからは,そのまま正面の強さを感じ取れます。

しかしながら,実際の造形に対峙すると,やはり上から見下ろしてくる龍の眼の視線の強さには変わりがないようにも感じます。そこに矛盾があるのですが,面の向きの強さだけでは説明できない何かがあるのかもしれません。

また,気になるピークは,上図の左ヒートマップの右下のピークです。このピークが意味するところは,虹梁の左横ほとんど真下から見上げた時に見えてくるやや後ろ側への面の強さです。実際の造形に戻ると,左首筋に伸びる髭の塊の影響でもあるようにも見えます。この結果を素直に読み取ると,向拝から拝殿内部に近づこうとするとき,左側よりに龍を見上げると,その龍頭の存在感を強く感じ取ることにもつながりそうです。今一度,現地に戻って,その造形から受ける印象の見直しが必要かなと思います。

特定の方位におけるヒートマップのプロフィール

拝殿の龍頭ヒートマップ中央(\(x\)軸方向)付近のプロフィール

方位角\(\phi=0.00\)ではやや上向きの面の強さが読み取られるが,方位角\(\phi=-0.20\)では,下向きの面の強さが観察できそうです。その造形の理由が分からないのですが,この向拝に正対したとき,中央左寄りのこの龍は拝殿からまっすぐ水平にその存在を示し,向拝に左寄りに近づくに連れて,その龍の存在感はさらに強くなるのではとも感じてしまいます。

今一度,この龍頭の3Dデータに戻ってみますと,

左斜め下から(方位角\(\phi=-0.02\)辺り)
右斜め下から(方位角\(\phi=0.02\)辺り)

印象的な評価に過ぎないのですが,左斜め下から見上げた時の龍眼の視線の強さを容易に感じ取ることができます。この差がヒートマップのプロフィールの違いにも関連しているように見ることができますが,さらなる検証は必要であることは理解しています。

参考までに真正面(方位角\(\phi=0\),天頂角\(\theta=0\))つまり\(x\)軸上での様子も示しておきます。これらの違いを読み取るのは難しいかもしれません。やはり今一度御嶽神社にお伺いさせていただかなけれならないと考えています。

真正面,x軸から

プロフィールの空間周波数成分

拝殿の龍の空間周波数成分

上図の結果からは,最低次の\(0.00Hz\)から\(0.64Hz\)まではほぼ同じ傾向を示しているので,この造形の基本的な特性を示しているようにも見えます。ただ,低次の周波数成分には解析上のノイズも入りやすいので,この結果をそのまま造形形態の基本特徴を示していると結論付けることはできません。相対的な中間周波数領域では,真正面からの造形特徴の違いが見られ,さらに,ここでの高周波数領域と言える\(3.82Hz\)と\(4.14Hz\)辺りでは,この龍頭からの面の強さが最も強いと思われる方位角\(phi=-0.02\)での特徴的な傾向が確認できそうです。

この空間周波数成分の大小関係を,見た目の印象の関係性と適切につなぐためには感性工学的な評価を行う必要があるとは思いますが,ここでは,その可能性だけの提示にとどめておきたいと思います。

水行堂の龍

左龍の曲率分布

水行堂左龍の曲率分布

細部の情報を低減するために,

水行堂左龍_頂点数12784

のように,細部での細かいメッシュ分割を避けるように最適化し,形態全体の凹凸が見えやすくなる程度にメッシュの再配置を行い,分析用の曲率分布,法線ベクトルを得ました。

法線ベクトル終点の頻度傾向を示すヒートマップ

水行堂左龍ヒートマップ

ヒートマップのパターンは,拝殿の龍のそれと比較しても,目視による作風の違いほどの差違はないように見えます。ピークの一から読み取れる造形全体の面の強さの向きも拝殿の龍と基本的には同様に見えます。

ヒートマップのプロフィール

水行堂左龍プロフィール

この結果より水行堂左龍の龍頭の上下の面の向きの傾向は,比較的に対象的な傾向があることがわかります。これは,この龍の造形が,真正面の下絵からそのままに立体化されているのではとの憶測もできるかもしれません。言い換えると,江戸時代後期以降の一つの傾向として見られる,彫刻が設置される位置とその彫刻を見る鑑賞者との関係への明確な配慮は弱く,環境装置の一つというよりはそれぞれの彫刻としての価値を見出すことになるのかなとも感じています。

プロフィールの空間周波数成分

水行堂左龍の空間周波数成分

拝殿の龍の空間周波数成分との対比においては,プロフィールから読み取られる上下対称性と同様に,真正面を基準にしたときの左右に振らした視点それぞれの面の方向性にも左右対称性がありそうです。つまり,彫刻の基準面に対して上下,左右からのアプローチ(彫り進め方)に一様なリズム,等方的な特徴があり,特定の方向を意識した顕著な異方性が感じられる造形ではなく,どちらかというと,平面的な欄間彫刻のような雰囲気もあるように見えます。

右龍の曲率分布

水行堂右龍の曲率分布

同じことの繰り返しですが,細部の情報を低減するためにメッシュ分割の最適化を行いました。

水行堂右龍_頂点数10094

ヒートマップ

水行堂右龍ヒートマップ

基本的には左龍と同様に正面性(真正面向きの面が多い)が強いことは確認できますが,ピークの立ち方からは,左右龍との作風は似ていると感じてはいますが,それでも,右龍の方がより平面性(2.5D的造形傾向)が強く読み取れるます。不確かですが,製作者の異なる可能性も否定できないかもしれません。このことは,左右阿吽の造形の原型の基本的な差異によるものなのか,作り手による作風傾向の違いなのかは不明です。

ヒートマップのプロフィール

水行堂右龍プロフィール

拝殿の龍,水行堂左龍の2龍頭と比較すると,この右龍では,面の向きのバラツキか一極集中的な傾向があるため,全体的な面の向きのつながりが弱いようにも見えてしまいます。造形を3D立体として見るときには,この形は破綻しているようにも見えるとの評価を受けてしまうのかもしれませんが,視点の連続性,一定性が欠如しているということは,同時にその造形に“動き”があるとの評価ができる可能性もありますので,その造形の美的価値の是非を議論することはできません。

プロフィールの空間周波数成分

水行堂右龍の空間周波数成分

平面性が強い時は高周波成分の大きさが目立ってくると仮定しているのですが,この結果では,その様子は伺えません。目視の印象とは異なり,なかなか難しいところがありますが,さらに他例の解析を進め,この手法と結果の検討を続けたいと思います。

拝殿の龍と水行堂左右の龍との比較

拝殿,水行堂左右の龍の正面方向の空間周波数成分での比較(方位角\(\phi=0.00\))

拝殿,水行堂左右の龍の正面方向の空間周波数成分での比較(方位角\(\phi=0.02\))
拝殿,水行堂左右の龍の正面方向の空間周波数成分での比較(方位角\(\phi=-0.02\))

大雑把に見ると,拝殿の龍と水行堂の左右の龍との形態差の比較は,ある程度できそうです。その様子が伺えるのは,顕著にわかりやすい例としては,方位角\(\phi=0.00\)の\(2.865Hz\),方位角\(\phi=0.02\)の\(2.546Hz\),方位角\(\phi=-0.02\)の\(1.273Hz\)などが挙げられるが,同じ方位角\(\phi=-0.02\)の\(0.955Hz\)では,比較的同じ作風に見える水行堂の左右の龍で明確に異なる結果となっています。これは,この手法のもともとの問題なのか,この左右の造形間にある根底的な差異を暗示しているのか否かについてはこれからの検討課題の一つします。

まとめ

ここでは,創建時の状態を維持しているとされている大変貴重な御嶽神社の本殿,水行堂の彫刻の取材をさせていただける絶好の機会をいただきましたので,同時期に製作され,それぞれの彫刻の製作者には何らかなつながりがあると思われると同時に,現地の設置環境においての目視では,その雰囲気が分かりやすく異なると感じられた本殿拝殿の龍と水行堂の龍の注目し,その雰囲気の違いを作風の違いと見立てて,「ポリゴンメッシュ法線ベクトル終点出現頻度ヒートマップ」からの作風同定の可能性の検討してみました。

まだまだ精度の問題もあり,それ以上にこの手法の考え方の是非を論理的に明確にしなければならないので,類例を重ねて検討を続けてみたいと思います。


comment

コメントを残す

OnkoLab Co., Ltd.をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む